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国指定史跡 昭和57年3月29日指定
上山田貝塚
縄文時代中期
かほく市上山田(かほく市管理)
指定面積 6831.7平方メートル
上山田和田集落背後の通称を「たち山」という、標高約20m、東西約250m、南北約80mを測る頂面平坦な独立小丘が貝塚遺跡である。貝層は、台地の東先端に近い、くびれ部の南側と北側の斜面に残されている。昭和5年(1930)に宇ノ気町指江の医師久保清氏によって発見・発掘され、石川県で最初に発見された貝塚として著名である。貝層は厚い所で約150cm、鹹水産の貝類も少量まじるが、イシガイ・オオタニシなどの淡水産貝類とフナなどの魚骨が圧倒的に多い主淡貝塚である。
貝塚から現海岸線までは、直線距離で約3km。貝塚の前面約2kmにひろがる河北潟の間には、日本海岸有数の大砂丘である内灘砂丘が連なっている。この貝塚から、かつては日本海に開く入江であった河北潟が、砂丘の発達によって現在の潟に移りかわった道すじを考えることができる。
出土遺物は町立西田記念館に保管されている。
昭和60年「石川県の文化財」より |
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