いしかわの史跡 最終更新日:平成17年3月31日
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石動山石動山

国指定史跡 昭和53年10月25日指定

石動山
 奈良〜江戸時代
 鹿島郡中能登町石動山・二宮(中能登町管理)
 指定面積 315万6703平方メートル


 石動山(標高565m)は、石川・富山の県境を限る石動山脈の主峰。古くから「いするぎ」「ゆするぎ」と呼ばれ、円錐形の山頂は大御前・御前山と称されて、能登二宮の伊須流岐比古神社が鎮座する。南側に広がる平坦斜面全域が、古代・中世の石動寺(戦国時代以降の天平寺)の遺跡であり、中世には大宮坊を中心に300坊、3,000の衆徒(いするぎ法師)を擁したとされ、近世には72坊、明治初年の瓦解時でも58坊を数えた山岳信仰(修験道)の拠点であった。「古縁起」は方道仙人を開山と述べ、林道春の「新縁起」は白山を開いた泰澄を開山とする。
 中世後期以降の伊須流岐比古神社は「五社権現」とも称された。五社権現とは、大宮(伊なぎ諾尊・本地虚空菩薩)・客宮(伊なぎ冉尊・十一面観音)・火宮(大物主神・聖観音)・梅宮(天目一箇命・勝軍地蔵)・剣宮(市杵島姫命・倶利迦羅不動)の総称とされる。南北朝の争乱や天正10年(1582)の石動山合戦で再三にわたり一山灰燼に帰したが、その都度復興し、近世は寺領150石、寺域50町四方が与えられ、越後・越中・飛騨・加賀・越前・佐渡・能登7カ国を知行地として、知識米戸当り2升の徴集が保証されたといわれる。明治初年の神仏分離で一山が瓦解したあとは、山頂の大宮を麓に移し、旧神輿堂を拝殿とする伊須流岐比古神社と、58坊のうちの旧観坊一宇だけが旧態を保つにすぎない。
 登山道7口のうち、能登側からの本道二宮口には、旧東往来(現国道159号)の脇に、凝灰岩の棟柱が残り、「石動山本社迄從是五十八町」とある。山頂下の尾根筋の石動山城をはじめ、各登り口の尾根筋には土塁・切溝・郭などが築かれ、一山巨大な山城となっている。大宮坊・東林院・道任坊等の石垣・石塁・講堂跡・五重塔跡・開山堂跡をはじめ二十数カ所の堂塔跡の礎石群、敷石道、経塚の石塔群等が、往時の盛況を物語っている。「いわしが池」の霊水を汲む7月7日の開山祭(お水取り)には、今も参詣者が富山県側に多い。また、石動の名の起こった「動字石」信仰も生きている。指定地域以外にも八大仙・桝形砦など関連史跡が多い。
 昭和60年「石川県の文化財」より
石川県史跡整備市町協議会
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