平成18年度史跡真脇遺跡発掘調査概要 能登町教育委員会
1.はじめに
真脇遺跡の発掘調査は、圃場整備工事に先立ち、昭和57,58年(1982,83)の2年間行われました。
この調査により、縄文時代前期初頭(約6,000年前)から晩期終末(約2,300年前)まで約4,000年間途
切れることなく人々が住み続けていた集落遺跡と判りました。また、前期末〜中期初頭の層から、大量
のイルカ骨が出土しました。この調査の成果から、全国でも例を見ない長期定住遺跡と位置付けられ、
平成元年に国指定史跡(約37,600u)、平成3年に出土品(219点)が国指定重要文化財となりました。
能登町では、史跡公園として整備するための計画を進めています。この計画を作成するには、以前の
発掘調査だけでは、遺跡全体の様子が判らないため、平成10年から発掘調査(第3次)を再開して、
整備内容の検討を行っています。
2.第11次発掘調査の概要
第11次発掘調査は昭和57・58年(第1・2次)の発掘調査で検出した、縄文時代中期の住居址の全貌を
明らかにすることを目的にしています。第1・2次調査で第3号住居址と第4号住居址の一部分が並んで検出
されています。これらの住居址の床には周辺で採れる風化凝灰岩質の土を住居床面に貼っています。調査区
はこれらの住居址の南側と北側を拡張し、約130uの面積を調査しています。
図1 発掘調査区平面図(3Dスキャナー測量・樺n域みらい提供)
3.検出した主な遺構
(1)第3号住居址
第3号住居址は第1・2次調査の際に平面形が円形で床面は2面確認されています。
上から1枚目は直径が約5.7m、2枚目が6.5mで縄文時代中期後葉のものです。また、
住居址のほぼ中央に方形の石組炉が検出されました。同じ位置で5回の作り替えが
行われているのも大きな特徴です。それぞれの炉址に伴う貼り床の面が存在すると
思われますが、未調査のため詳細は不明です。
(2)第4号住居址
第4号住居址は東西約5.7m、南北約6.6mの長方形で床面は2面確認されました。
床面の中央部分は周囲に比べてなだらかにくぼんでいて、ほぼ中央に炉石と
みられる扁平な石が出土しています。その南位置には焼けたシカの角が2本検出
されました。いずれも、床面直上から出土しています。石組炉のような石はあり
ませんが周辺には焼けた痕跡が認められました。縄文時代中期後葉のもので第3号
住居址より少し新しい時期のものです。床面には後世の撹乱でできたたくさんの
ピットが確認されました。
写真1 貼り床住居址全景(西方向より)手前が第4号住居址
(3)石組遺構
(4)配石遺構
石組遺構の西側(A1グリッド)に大きな石が3個出土しました。石@は長辺53p、短辺23pで、
加熱された痕跡があります。石Aは長辺42p、短辺24pで、加熱された痕跡があります。
石Bは長辺58p、短辺28pです。いずれも掘り方は検出できませんでした。
(5)石棒
石組遺構の北側に隣接して、長径25p、短径20p、残存長25pの石棒とみられる石製品が出土しました。
上端部分は熱を受けて折れていますが、縄文時代中期に類例のある大型石棒と考えられます。
写真2 石組遺構と石棒(南方向より)
写真3 配石遺構(西方向より)