T 秋常山古墳群保存整備事業 

  能美市内には、今から約17001400年前に造られた「古墳」と呼ばれる土を盛ったお墓が
数多く分布しています。なかでも平野部の丘陵上につくられた寺井山・和田山・末寺山・秋常山・
西山の古墳群は「能美古墳群」と総称され、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳などさまざな
形の古墳や多くの貴重な副葬品が見つかっており、北陸を代表する古墳群として知られています。
  能美市教育委員会では、この貴重な古墳群をより良いかたちで保存し、後世に継承していく
ために能美古墳群の保存整備事業を進めています。平成20年度は、秋常山古墳群の保存整備
事業と西山古墳群の詳細分布調査を実施しました。

@秋常山古墳群とは?

秋常山古墳群は標高約40mの丘陵上に分布する古墳群です。現在、1号墳と2号墳の2基
の古墳が見つかっています。平成4年度から始められた発掘調査によって、1号墳は4世紀の
終り頃につくられた全長約140mをはかる北陸最大級の前方後円墳であることがわかりました。
 また、2号墳は5世紀の中頃につくられた一辺約30mの埴輪を並べた方墳で、埋葬施設には
大刀・刀子・針・竪櫛・臼玉が副葬されていました。

A保存整備事業の概要

秋常山古墳群は昭和59年に発見され、県内でも最大規模の前方後円墳が存在していることが
指摘されました。その後、旧寺井町によって詳細な地形測量と発掘調査が実施され、1号墳は
北陸でも最大級の規模を誇る前方後円であることがわかりました。平成11年、秋常山古墳群は
その重要性から国の史跡に指定され、平成16年度から保存と古墳学習の場としての活用ができ
るように整備事業を開始しました。現在、平成22年度の完成を目指して整備が進められています。

B平成20年度の事業内容

1号墳では、後円部2段目東側の墳丘復元と保存盛土工事を行いました。墳丘は1600年の
時を経て当時の形が損なわれていることから、発掘調査成果をもとに墳形を復元し、壊れてい
る部分は修復し、残っている部分は厚さ約30cm程の盛土で保護していきました。墳丘の整形
が終わった後、斜面全体にヨモギとメドハギの種子を吹きつけて保護マットで覆いました。これ
らの種子が成長することで斜面の土の流出防止となるとともに、里山的な景観を残した整備と
なります。また、墳丘斜面に階段と手すりを設置したことで、復元された葺石を見学しながら古
墳を登っていくことができるようにしました。前方部から後円部墳頂へ至る階段も設置し、古墳
見学をするうえで便利になりました。 

2号墳では、埋葬施設の発掘調査を行っており、粘土で覆われた木棺の中からさまざまな
副葬品が出土しています。整備では、墳丘内部に覆屋型の展示施設をつくり真上と真横から
発掘調査時の埋葬施設が見学できるようにします。

  今年度は、昨年度建築した展示施設内に埋葬施設のレプリカを設置し、上から見学するた
めのガラス製覆屋をはめ込みました。墳丘の復元もほぼ終了し、昨年度作成した埴輪のレプ
リカを試験的に並べることで、1500年前の姿をよみがえらせることができました。

   墳頂部へ上がる階段も設置し、古墳学習施設として復元された2号墳の整備は8割程完成
したと言えます。来年度は1号墳の前方部を整備し、前方後円墳としての形を整えます。2号
墳は展示施設内の整備を中心に進めていきます。

 
        1号墳後円部東側の階段                      1号墳後円部南側の階段
 
        2号墳埋葬施設の復元展示                    平成20年度整備完成写真



U 西山古墳群詳細分布調査

@西山古墳群とは?

西山古墳群は標高約36mの丘陵上に分布する古墳群で、15基以上の古墳があったと推定
されます。昭和30年代から40年代にかけて西山で土採取工事が始まり、古墳が消滅の危機を
迎えたことから、緊急の発掘調査が行われ、2基の弥生墳丘墓と5基の古墳が発見されました。
甲冑や馬具など貴重な副葬品も見つかり、能美古墳群では最も古い6号墓・12号墓、最も新しい
1・2・8・9号墳がつくられていることがわかるなど能美古墳群の始まりと終わりを告げる古墳群と
して注目されました。しかし、その後、本格的な調査は行われず今日に至っています。 

A西山古墳群詳細分布調査について 

能美市教育委員会では、能美古墳群のなかで重要な位置を占める西山古墳群について、
古墳の数や規模、時期などの正確なデータを得るため、19年度から3ヶ年計画で詳細な分
布調査を実施しています。調査1年目の昨年度は西山南尾根を調査し、弥生時代の木棺墓
もしくは土壙墓と想定される遺構や中世の山城を新たに発見しました。

B平成20年度の調査成果

20年度の調査範囲と目的】

 平成20年度は西山の北尾根を調査範囲としました。この尾根上には、弥生墳丘墓である6号墓
12号墓と古墳である8・1314号墳の分布が過去の調査で判明しています。このうち尾根頂部に
立地する6号墓・12号墓・8号墳は昭和42年(1967年)の土採り工事の際に緊急発掘調査が行われ
、6号墓は6基の土壙(木棺)墓をもつ円形周溝墓、12号墓は9基以上の土壙(木棺)墓をもつ墓域で、
いずれも弥生時代終わり頃の3世紀に属し、8号墳は直径約20mで全長約5mの横穴式石室を持つ
6世紀後半の円墳であることがわかりました。しかし、その後に工事が進行し、遺存状況も不明なまま
となっていました。今年度の調査では、地形測量及び試掘調査を実施し、これら過去に調査が行なわ
れた遺構の正確な位置と現状の確認、保護を行うことと、尾根斜面に位置し、詳細が不明な1314
墳の墳形・規模・築造時期などの基礎的データを得ることを目的としました。

【見つかった遺構と遺物】

   調査の結果、尾根頂部での土採り範囲は予想以上に大きく、6号墓は完全に消滅、8号墳・12
墓も墳丘の約1/3程が消失していました。かろうじて消滅を免れていた8号墳の横穴式石室跡
(石室は移築保存)や12号墓の弥生時代木棺墓・土壙墓跡については再掘削を行い、図化後、
土のう等による保護措置を行いました。 

尾根斜面の裾部に位置する13号墳では、斜面を断ち切るかたちで南側に幅約2m、深さ約60cm
周溝が検出され、西側でも周溝が、東・北側で墳丘裾が検出されたことから、直径約20mの円墳であ
ることが判明しました。高さは現状で、北側2.7m、南側1mを測ります。築造時期は周溝から出土した
須恵器より6世紀前半と考えられます。

頂部に近い斜面上に位置する14号墳では、13号墳と同様に南側で幅約1.3m、深さ約30cmの周溝
などが検出され、直径約14mの円墳であることがわかりました。築造時期は古墳に伴う遺物が出土しな
かったことから不明です。

 さらに、13号墳と14号墳がある斜面上は、現在、徳久町の共同墓地が営まれており、墓地造成に伴う
地形改変が広く見られます。1314号墳の調査によって、斜面上に2基の古墳が存在することが確かめ
られたことから、この墓地の下にもまだ古墳が分布している可能性が高まり、確認調査を実施することに
しました。その結果、周溝を伴う3基の古墳が新たに発見されました。これらは周溝の周り方から円墳と考
えられ、17号墳は直径14m、18号墳は直径8m、20号墳は直径20mと推測されます。なかでも20号墳
は規模が大きく、幅約3m、深さ約70cmの周溝内から古墳祭祀に用いたと見られる須恵器が集中して出
土しました。その土器から築造時期は6世紀前半と推定されますが、13号墳よりもやや新しい時期と考え
られます。

【調査の意義】

 今年度の調査では、尾根頂部の過去の土採りが予想よりも進行していた点は残念でありましたが、その
現状が把握できたことは今後の保存と整備を考えていくうえで重要なデータとなります。そして何よりも
尾根の斜面上で新規発見を含め5基の古墳が新たに確認されたことは特筆すべき成果と言えます。
なかでも1320号墳は出土須恵器から築造時期が6世紀前半と推測されますが、これまで西山古墳群
では5世紀後葉と6世紀後半の古墳しか見つかっておらず、その空白期間を埋める古墳となります。西山
古墳群は能美古墳群の終焉を物語る古墳群と評価されていますが、その過程を探る貴重な成果を得るこ
とができたと言えます。

 
         13号墳西側周溝                         14号墳南側周溝
 
       20号墳周溝須恵器出土状況                     12号墓5・6号土壙


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