いしかわの史跡 最終更新日:平成26年6月10日
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秋常山古墳
寺井山古墳群

国指定史跡 能美古墳群(能美市管理)
 昭和50年 3月18日   和田山・末寺山古墳群指定
 平成11年 1月14日   秋常山古墳群指定
 平成13年 1月29日   秋常山古墳群追加指定 
 平成25年10月17日   寺井山古墳群・西山古墳群追加指定、名称変更
 

  能美古墳群は、能美市内の平野部に点在する寺井山・和田山・末寺山・秋常山・西山の5つの独立丘陵上に造られた古墳群の総称である。各古墳群はそれぞれの丘陵名をとって呼称している。現在、62 基の古墳が見つかっており、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳といった古墳の主要な形態が全てそろっているとともに、規模も最大140mから最小11mまでさまざまなものが見られる。
造られた時期は、3世紀から6世紀の古墳時代のほぼ全期間にわたり、この間、方墳・前方後方墳・前方後円墳・円墳へと主要な墳形の変遷を追うことができる。埋葬施設も木棺直葬、粘土槨、木造粘土被覆室(横穴式木室)、切石積横穴式石室など多彩で、出土遺物も多くあり、なかには六鈴鏡(和田山1 号墳)、鈴付銅釧(和田山2号墳)、馬鐸・鈴付杏葉(西山9 号墳)、基壇状に並べられた須恵器高杯群(和田山23 号墳)など北陸においては希少な品々も含まれている。
こうした諸特徴とともに、各時期には北陸最大級の前方後円墳である秋常山1号墳(墳長約140m・4世紀末)をはじめ、寺井山6号墓(区画墓・3世紀)、末寺山6号墳(前方後方墳・墳長約57m・4世紀前半)、和田山5号墳(前方後円墳・墳長約55m・5世紀半ば)、西山8号墳(円墳・墳長約20m・6世紀半ば)など、加賀地方を代表する有力墳が含まれており、能美古墳群は古墳時代に能美地域を治めた歴代の首長や有力者が眠る特別な墓 域であったと考えられる。

  以上の特徴を有する古墳群は北陸においては稀有であり、一地域史のみならず日本列島における古墳時代の政治的動向、古墳文化の展開過程を知るうえでも極めて重要な古墳群として位置づけられる。よって、既存の国史跡である和田山・末寺山古墳群、秋常山古墳群に寺井山古墳群、西山古墳群を新たに追加し、「史跡能美古墳群」として一体的な保護を図るものである。
 (石川県HPより転載)

【寺井山古墳群】
 
弥生時代終末
 
能美市寺井
 指定面積 5191平方メートル 

 手取川の南岸に広がる能美平野には、和田山、末寺山などの独立丘陵が点在しており、国指定史跡の和田山・末寺山古墳群、秋常山古墳群が展開しています。寺井山遺跡は、能美市寺井町寺井に所在する弥生時代の遺跡で、昭和45(1970)年7月と10月の発掘調査で、その重要性が確認されたことから、県指定史跡となり、史跡公園として保存されました。
 遺跡の南側に延びていた丘陵は、昭和40年代前半の宅地造成等により消滅しましたが、北端に位置した2基の遺構については、発掘調査でその概要が明らかにされました。
 円墳状の5号丘(直径約20m・高さ約1.7m)は、埋蔵施設が未確認ながらも周溝(幅約4m・深さ0.4〜1.2m)を検出し、墳墓に関連した祭祀儀礼の特殊な遺構と推定されました。6号丘では丘陵端を溝(長さ約14m・幅約3m・深さ0.8m)で区画した中に、鉄鏃・鉄剣・鉄刀を副葬した2基の土坑墓を検出しました。
 両遺構とも弥生時代終末の墓制にかかわる遺構であり、その後の古墳群へと移行した当地の墓制を知る上で重要な遺構であることが判明しています。その結果、寺井町や地元住民らの協力により保存が図られ、現在は住宅地内の史跡公園として、一般に親しまれています。
 『いしかわの遺跡35』より
石川県史跡整備市町協議会
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