最終更新日:平成21年3月31日 

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国指定史跡 平成21年2月12日指定

加賀藩主前田家墓所
 江戸時代

 金沢市野田町野田山地内(金沢市管理)
 富山県高岡市関地内(高岡市管理)

 指定面積 金沢市:8万6294.35平方メートル
 高岡市:3万3391.91平方メートル


 加賀藩主前田家墓所は、江戸時代に加賀・能登・越中3ヵ国を領有した加賀藩主前田家歴代の墓所で、金沢市野田町野田山の前田家墓所と、富山県高岡市関の前田利長墓所の2箇所からなる。

 加賀藩主前田家の初代利家は織田信長・豊臣秀吉に仕えて北陸地方に勢力を伸ばし、天正11(1583)には金沢城を居城として領国を経営し、豊臣政権下では五大老に任ぜられるなど政権の枢要をなした。利家の没後その遺領を継いだ2代利長は関ヶ原合戦で東軍に与し、論功行賞により加賀・能登・越中約120万石を領した。3代利常の代に富山藩10万石・大聖寺藩7万石(のちに10万石)を分藩するも、江戸時代を通じて領知高100万石を超える全国最大の大名家として明治維新まで存続した。

 金沢市の野田山に所在する歴代墓所は、金沢城の南方約3.5kmに位置する。初代利家が自身の墓所としてこの地を占定したといい、以後、歴代藩主墓を中心に正室・側室・子女等の墓80基余りが造営される。形態は土を盛り上げた方形墳を基本とし、特に藩主墓は三段に盛り上げた方形墳の周囲に周溝が廻るという特徴的な形態で、初代利家墓で一辺約19m、その他の藩主墓で一辺16m前後と、他藩では類を見ない大規模なものとなっている。

 高岡市の前田利長墓所は、利長の三十三回忌に際して3代利常が菩提寺瑞龍寺とともに造営したものである。二重の堀に囲まれた一辺18メートルの正方区画内に方形二段の墳丘が造営されており、野田山前田家墓所の藩主墓と同様の造墓原理が採用されている。大名個人の墳墓としては全国最大級の規模を誇る。

 加賀藩主前田家墓所は、全国的にも有数の規模と威厳を備え、方形墳という形態やその造墓原理、利長墓所の規模・意匠など独自の特徴を有し、かつ総体として良好に遺存している。近世大名の政治権力や墓制を知る上で貴重であり、かつ金沢の前田家墓所と高岡の前田利長墓所はその性格を一にする同質の史跡であることから、石川・富山の県境をまたいだ両者が一括で国史跡に指定された。

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