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国指定史跡 平成24年1月24日指定

寺家遺跡
 縄文〜中世(古代中心)
 羽咋市寺家町・柳田町
 指定面積 58207.70平方メートル


 石川県羽咋市寺家遺跡は、能登半島西側付け根付近の日本海沿いを縦走する海岸砂丘上に所在する、古代を中心とした祭祀遺跡である。周辺には、300m北に古代寺院であるシャコデ廃寺跡、800m北西には能登国一宮である気多神社をはじめとする、宗教関係の遺跡が所在している。
 
 本遺跡は昭和53 年、能登有料道路建設に伴い発見され、石川県教育委員会により発掘調査が行われた。遺跡の北西側では、焼土遺構や石組炉等の祭祀にかかわる遺構とそれに伴う銅鏡・鉄刀および多数の土器等が、道路敷部分では、竪穴建物および掘立柱建物と数多くの遺物を検出した。建物は8 世紀前半が竪穴建物で、8 世紀後半には掘立柱建物となる。注目されるのは9 世紀後半の大型掘立柱建物を中心とする建物群で、規格性のある配置をとることから、祭祀を管理する施設の可能性が考えられている。また、その南に所在する溝と柵列により区画された掘立柱建物は、神社に関連する遺構とみなされている。出土遺物には海獣葡萄鏡等の銅鏡や垂飾・鍍金銅環・帯金具・銅鋺等の銅製品、鉄鏡・直刀・刀子・馬具・紡錘車・鉄鐸等の鉄製品、勾玉、土馬、斎串、牛馬歯骨、二彩・三彩陶器等がある。さらに墨書土器としては、「大」「宮」「司」「舘」「神」「奉」等があり、神祇信仰との関係が示唆される。出土遺物の内容から、行われた祭祀には国家が関与していたと考えられ、祭祀遺構と掘立柱建物の一部は現状保存の措置が図られた。
 
 その後、羽咋市教育委員会は本遺跡の重要性に鑑み、昭和56 年度から16 次にわたる遺跡の範囲・内容を明らかにする発掘調査を実施し、6 世紀から14 世紀前半までの遺構・遺物を確認した。以前の調査で焼土遺構を検出した地点の再調査では、8 世紀後半の一辺2 m以上の大型焼土遺構と土坑等を検出した。焼土遺構は粘土で覆われた状態で検出された。被熱の状態から、この場で何回にもわたり燃焼行為が行われたが、若干の炭化物が認められるだけであることから、燃焼行為の後に清掃行為があったと考えられている。また、ほかの地点でも焼土遺構や掘立柱建物等の遺構、そして多量の土器や金属製品等の遺物が能登有料道路の道路敷き周辺の広範囲にわたって良好に遺存していることが明らかとなった。
 ところで、能登国には「気多神社」が存在していたことが知られ、『万葉集』においては、越中国司の大伴家持が着任後に「気太神宮」に巡行したとの記載がある。また、『続日本紀』では神護景雲二年(768)、気多神に神封二○戸を加え田二町を奉充するとの記載があるなど畿外においては気比神宮(越前)、鹿島神宮(常陸)、香取神宮(下総)とともに律令国家が重視した神社である。

 寺家遺跡は古代を中心とする祭祀遺跡である。焼土遺構をはじめとする祭祀関係遺構は良好に遺存し、それにかかわる掘立柱建物も存在しており、古代における祭祀遺跡の様相が明らかとなった。そして8 世紀から9 世紀にかけては、遺物の内容から国家が関与していたと考えられ、また、古代の気多神社とかかわりがあった可能性も示唆される。このように、寺家遺跡は古代における神祇信仰の在り方を知ることのできる稀少かつ重要な遺跡である。
石川県史跡整備市町協議会
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