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国指定史跡 昭和56年1月27日指定
須曽蝦夷穴古墳
古墳時代終末期
七尾市能登島町字須曽(七尾市管理)
指定面積 2324平方メートル
須曽集落背後の丘陵中腹(標高約80m)に所在し、墳頂からは七尾南湾を隔てて遥かに巴知地溝帯北部を遠望できる。付近には他に有丘墳はなく、孤立墳だといえる。
1辺約25m、高さ4.5の方墳で、古くから雄穴(東側)・雌穴(西側)と呼ばれる2基の横穴式石室が南に向けて開口している。昭和28年(1953)、九学会連合能登調査委員会によって学術調査され、その特異な石室構造が学界に紹介されている。
石室の平面形は、T字形(雄穴)・逆L形(雌穴)であるが、安山岩質板石を磚槨式に近い方法で構築、狭長な羨道部には前室の施設を備えている。天井部は、いわゆる隅三角持送技法に類似した架構法を採用しており、北陸では数少ない高句麗様式石室の系譜をひくものとみられる。
前室から出土した須恵器(蓋坏)や直刀片などから、7世紀中葉前後の築造とみられ、能登国造に属する有力氏族の墳墓だと考えられる。
昭和60年「石川県の文化財」より |
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